白衣を脱いで田んぼへ 医師・桐村里紗さんが挑むプラネタリーヘルス(地球の健康)革命
私たちアジアスモールビジネス連盟(ASBF)が主催するBELLA AWARDS 2026にて、天籟株式会社の代表であり、現役の医師でもある桐村里紗さんが日本代表となりました。医療の最前線に立つ彼女が、なぜ鳥取県の小さな町で農業に取り組んでいるのか。そこには、これからの時代を生きる私たちが目をそらすことのできない、命と環境の深いつながりがありました。彼女の活動は、地域の過疎化や農業の担い手不足といった課題を抱えるすべての人にとって、未来を切り開く大きな希望となるはずです。
診察室から見えた「食と農」の限界
「診察室で患者さんを待っているだけでは、本当の意味で人を健康にすることはできない」
内科医として22年間、生活習慣病や在宅医療の現場に立ち続けてきた桐村さんは、日々の診療のなかで強いもどかしさを抱えていました。最新の医療で一時的に症状を抑えることはできても、根本的な解決には届きません。桐村さんが日々、患者と向き合ううちに、慢性疾患が増え続けるのは毎日の「食」、そしてその食を生み出す「土」や自然環境の乱れ、社会システムに問題があるのではないかとの仮説にたどりつきました。
人間の腸内環境と、土の中の微生物の働きは驚くほど似ています。土が痩せてしまえば、そこから育つ食べ物も健康に育ちません。また世の中には、「超加工食品」と呼ばれる栄養価の乏しい食べ物に溢れています。工業化されたフードシステムによって、結果的に私たちの健康も損なわれます。人の健康は、人をとりまく社会システムの健康、そして地球の健康、つまり生態系という大きなシステムと切り離すことはできないと桐村さんは考えています。
鳥取県江府町から始まる、新しい医療の形
この「プラネタリーヘルス(地球の健康)」という考え方を現実の社会で形にするため、桐村さんが選んだ入り口が「食と農」でした。これまで、医と食と農の分野はバラバラでしたが、「食」を通して、人と大地は繋がっている。そして、食の選択はその両方を健康にできるという思いから、医科、歯科、食、農を1つにつなぐ仕組みづくりに挑みました。
舞台となったのは、美しい棚田が広がる鳥取県江府町(こうふちょう)。桐村さんは2022年、過疎化と農家の高齢化が進むこの地域に拠点を構えます。具体的には、遊休施設だった公園を再生の拠点としました。まず最初に、町の人たちの協力のもとで国内外から様々な人たちが関わって学ぶことができる、自然の生態系を活かした環境再生型の農業をスタートさせたのです。
田んぼを「処方」する画期的なプロジェクト
江府町の農家さんとも協力して、農業を支援する取り組みを始めました。なかでも目を引くのが、最新のネットワークの仕組みを取り入れた「田んぼDAO」という取り組みです。
ここでは田んぼを「お米を作るだけの場所」とは考えません。田んぼは豊かな生態系を守り、水を蓄え、地域の文化を受け継ぐ場所。そして何より「人の心と体を癒やす場所」であると再定義しました。
都市部で働く人たちは、自然や土に触れる機会が減り、知らず知らずのうちに心や体が疲弊しています。そこで、医師や看護師などの医療従事者がまず関わり、彼らに「田んぼ」を処方する仕組みを考えました。都会の人たちが江府町を訪れ、泥にまみれて農業環境を再生する作業で汗を流す。耕作放棄地になりそうな田畑を維持しながら、新しい価値あるものに生まれ変わらせる。そうやって自然に触れることで、結果的に自分自身の健康を取り戻していくというサイクルを生み出す、最初の一歩を踏み出しました。
対立ではなく、共感で地域を動かす
桐村さんの取り組みは、町に変化をもたらしています。
これまで約500人もの人々が町内外から集まりました。田んぼDAOでは、プログラムに参加した人が実際に江府町への農業移住を決断しました。1名の移住を皮切りに、その後わずか5カ月で30人もの関係人口が増え、6人の移住希望者が現れるなど、地域を根底から元気にする原動力になっています。
新しい農業の形を広げる一方で、何十年もその土地を守ってきた地元の農家さんたちには敬意を払っています。草刈りや共同作業にも一緒に参加し、地域の文化に敬意を払いながら、少しずつ緩やかな変化を起こしていきます。そのあたたかい人柄と丁寧な関係づくりがあるからこそ、多くの人が彼女の思いに強く共感しているのです。
地球も人も豊かになる未来へ
この取り組みは鳥取の小さな町を飛び出し、全国へと広がっています。2025年には「一般社団法人プラネタリーヘルスイニシアティブ」を設立。都市と地方をつなぐ新しい社会の仕組みづくりをさらに加速させています。
「地球の豊かさが増えるほど人も豊かになっていく社会をつくりたい」
自然から奪うことで成り立つ経済ではなく、私たちが活動すればするほど、環境が豊かに再生していく社会へ。地球の健康と、私たちの健康。その二つを同時に叶える未来への種まきは、これから世界にも広がっていくことでしょう。